【自己紹介 103とは】オーストラリア永住権に至った経緯 パート2 海外に興味を持ったのは映画 

Profile 103とNemu
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パート1で、海外永住権取得から日本に戻って働き始めた現在のお話をこちらでいたしました。

もともと、なぜ海外への興味を持ち始めたのかのきっかけのお話がパート2です。

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【フェーズ1】映画ファンが生まれる

今だからこそ子供の頃の様な熱狂ぶりはおさまりましたが、私103は小学生から心底映画へ傾倒していました。どの様な映画ファンかと言えば、

映画愛を証明するエピソード♪
  • リチャードドナー監督の1985年グーニーズは200回以上みている
  • ベンスティラー主演1999年ミステリーメンを映画館で10回みた
  • 幼少時代は録画洋画を1000本持っていた
  • 映画雑誌ロードショーとスクリーンを15年以上毎月買い続けた

今思っても、小学生時代より、映画しか頭にないちょっと変わった子供時代を送りました。

もともと、映画への道へ走ったのはグーニーズでした。自分が子供時代に、登場人物と同年代の仲間として、あの冒険活劇の名作に出会うことができて本当に良かったと思っています。

小さな田舎町に住む、大きな世界とまだ対峙していない個性的な子供たちが成長する物語。私103は、自分の世界とは全く違うどこか別の場所では、自由で、大きな世界が広がっている事を目の当たりにします。何回も見直し、自分の小さな世界とは違う映画グーニーズの世界へ行くことを、毎日夢想していました。

80−90年代はラッキーな事に、スティーブンスピルバーグ全盛期で、子供たちの目線で作られた良質の映画がたくさんありました。ロバートゼメキス、クリスコロンバス、ジョンヒューズ監督と、名前を挙げ始めたらキリがないほど、子供や若者の気持ちを上手に表現できる映画を作りだすプロがたくさんいました。

とにかく洋画一辺倒の子供時代を送っているので、TVで流れていた日本のドラマや音楽というものに全く興味がない状態で育っていきます。今思えば、この子供の頃に触れる芸術・芸能というものが人物形成に大いに関わっている事を実感しています。

海外旅行は夢の世界 

高校時代には、親世代がバブル景気に踊っていた家庭もあった様で、友達の中には海外旅行に家族で出かける人たちもいました。103にとっては、海外旅行なんて、今で言う火星旅行ぐらい夢の様な話。自分が海外に行くことができる日が来るなんて思ってもいませんでした。

103は決して裕福な家庭の出身ではありませんので、子供の時から、どちらかと言うと自立し、自分の事を自分で支える術を磨かざるを得ない環境で育ちます。

その現実と、映画の夢の世界のギャップが、結局は103の活力に繋がっているのです。簡単に手に入らないからこそ、努力のしがいがあるぐらい、海外へ出る事自体がハードルが高かったのですね。

【フェーズ2】短期英語1ヶ月研修 カナダ

大学在学中に、両親が1ヶ月のカナダへの語学研修に出してくれました。本当に感謝しています。この経験が、私の人生を大きく変えてくれた第二フェーズになります。

1ヶ月程度の語学研修なので、英語力がどうのという話ではありません。

何が大きなリターンだったかと言うと、海外へ出ることが可能だと知ったことです。経験してみて初めて、それが現実味を帯びるのです。

ここで、出会えたホームステイ先の家族がとてもよくしてくれました。両親と子供二人の家族の家には裏庭に大きなプールがありました。映画でみてきた世界です。1ヶ月、その夢みてきた映画の登場人物かの様に感じる体験をすることができました。

ホームステイ先が、また遊びにおいで!と、誘ってくれたので、103は図々しく翌年の夏休みに1ヶ月遊びに行くのです。2度目のカナダは、もちろん、自分でバイトでお金を貯めて、友達二人でカナダ横断旅行も含めてカナダへ飛び立ちます。その時に、またホームステイ先が、次は1年ぐらいは滞在しなさい、と誘ってくれたのです。またまた、間に受けた103は大学卒業後にそのご家庭でホームステイをしたいという一心で1年間の語学留学へと向かいました。

映画好きが高じて、海外の生活に興味を持ち、短期留学から長期留学へと続いていったというのが、今後103がオーストラリア永住への正に第一歩だったのです。

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