【日本移住 難しい就職】オーストラリアから持ち帰りたい働き方 第5弾 環境問題への高い意識

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オーストラリア現地企業で10年働いた後、日本へ再移住して1年が経ちました。その中で違和感を覚える働き方や価値観の差について考察しているシリーズの第5弾。日本企業で働いてみて、しっくりこない日本の環境問題への価値観について今回はフォーカスしました。

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SDGs ってどうなの?紙文化は時代遅れ 本屋の行方と印刷禁止

日本で働いてみて大きく驚いた事の一つとして、当たり前のように、罪悪感なく日常的に繰り返される印刷文化です。

紙で印刷された情報を読むことの方が断然楽であります。手書きメモもできますし、なんと言っても効率が良い。

でも、どこか罪悪感を感じませんか?

オーストラリア企業 突然やってきた再生できない物の使用禁止令

私たちが働いていたオーストラリア企業では、2019年のある日突然、本社より

「再生不可の物の使用、提供は禁止」

というお達しが舞い込んできました。そうなった場合、次々と疑問や難題が出てきます。

まずは手っ取り早く対応可能なのが印刷をやめる事です。この点に関しては、実は数年前から徐々に対策はされていました。例えば、

  • インボイスなど会計関係の書類の廃止
  • お客様がお持ちになる紙バウチャーの廃止
  • お客様に配るパンフレット類は1冊のみ準備

などです。

通常業務の中で会計へ毎日印刷物を社内便で送付していました。それが当たり前の作業だったので必要かどうかまで考えずの行動です。そして、ある日、他部門とも話合いそれが必要かどうか議論し、そこで不要であるという方向で落ち着きました。それが10年近く前の事です。その後に何か困ったことは起こっていません。

また、カスタマーサービスということで行なっていた業務も思い切って取りやめました。例えば、商品のパンフレット作成です。何千枚というパンフレットを業者に委託して準備していました。そのパンフレットは日本人のお客様は特にお土産として持ち帰る方も多く、本来の目的から逸れた利用をされている現実がありました。そこで、パンフレット作成は業者にお願いしながら印刷というステップを停止しました。ファイルで頂いたパンフレットを1部のみ印刷してラミネートしました。必要なお客様はそれをカメラで写真として撮っていただくようにしました。それで困ったこともありませんでしたし、売り上げに影響は出ていません。

カスタマーサービスをどこまで行うか、またそれが本当に必要なのかという問いかけなのです。

事前にそのような対策は徐々にしていたので、実際、無駄の紙の使用は禁止になっても意外と対応が可能でした。お客様用に使っていた使い捨ての紙コップなども廃止となりました。

色々とサービスが悪くなると表面的には思うのですが、企業が環境問題への取り組みをすることが当たり前となっているオーストラリアでは、その対応だったとしても客は受け入れるものなのです。サービスが悪くなる、減るということがあったとしても、私たちが痛みを伴わずに環境問題が解決するという段階ではないのだと言うことでしょうか。

日本の紙文化の実態 

日本で暮らしてみて、日本は未だに紙媒体が溢れています。駅に行けばツアーパンフレットが大量にラックに並べられ、スーパーマーケットではレシピの案内が紙印刷で並べられ、新聞受けには頼んでもいないチラシが投げ込まれます。

私も本屋さんが大好きではありますが、現在でもこれだけの数の本屋が生き残っていることに驚きます。Kindleなどでウェブ上で読書を楽しむ人が増えたということが大きいとは思いますが、オーストラリアではほぼ本屋さんの姿を見なくなりました。 オーストラリアにもニュージーランドにもアメリカの書店大手Bordersが進出していましたが2011年の時点で経営破綻となったニュースからすでに10年が経とうとしています。まだ紙媒体の書籍は残っているもののオーストラリアでは少なくとも量的にはかなり少なくなってきているのはウェブ媒体の発達とともに環境への配慮への関心が高まった背景もあると言えます。

これからの時代、好き嫌いで片付けられない時代がやってきます。いや、すでに世界ではそれが導入されているのです。

その中で、まだ大量に印刷物が所狭しと並ぶ日本の書店に時代遅れさを感じずにはいられません。

過剰包装の大罪 エコバックは当たり前

バレンタインの包装は不要 

もともと、綺麗な包装に対する意識が低いのが海外であります。少しでも海外で暮らしたことがある人なら経験したことがあるのではないでしょうか。オーストラリアでも、昔はクリスマス時期にラッピングサービスなどもありました。が、そのクオリティの低さは驚きます。自分で包装した方が綺麗かもしれない。。。なんて、思わせるレベルです。

今回、小売業でも働いた経験から日本のラッピング文化が今だに存在していることを体験しました。存在というか、必要不可欠なサービスとして当たり前化しています。特にバレンタインデーを経験しましたが、ちょっとした物を数十個購入する人がラッピングを頼むのです。そこで無駄に消費される包装紙の量の多い事!

それを無駄と取る事自体が日本人の感覚としてはアウトなのでしょうか。人様にお渡しする物、綺麗な包装がなされていないと相手に失礼に当たるのでしょうか。

これは実は大きな問題だと考えています。

やはり、周りの人が綺麗にラッピングしたチョコを(義理チョコだったとしても)渡している中で、包装されていないチョコを対して本当は親しくもない人に渡すことはかなり勇気がいるのかもしれません。周りと違うことをする事への勇気が試される状況になりかねませんね。

日本は異様なプレッシャーがあるのです。

そして話は海外に戻ると、もちろんプレゼント文化はありますし、それをラッピングする文化もあります。ただ、日本の様な過剰で異様な強い思いは無いでしょう。10年以上前になりますが、カナダでホームステイをしていた時もクリスマス時期にはストレージにあるクリスマスラッピングのシートやリボンを取り出してきて思い思いラッピングしていた子供たちがいました。それは、美しいラッピングという強い思いはさほどないように思われました。ラッピングもせずに渡すことが相手に失礼になる、なんて思いは皆無でしょう。

マイバック導入の目的を忘れない

そこから時間は流れ、ここ数年の間でアメリカに行った時に感じたのは、簡単に購入した商品を入れる綺麗な買い物バッグはもらえない風潮でした。

カジュアルな洋服屋さん、例えばGAPなどであっても、買い物袋が有料になったのはだいぶ前だったと思います。当たり前の感覚で袋に入れてもらえるかと思いましたが、レジで「袋は○○セントだ」と伝えられるようになって久しいと思います。

オーストラリアでも私が暮らしていた場所にあるスーパーも紙袋の提供ですら10セント必要になったのは思い出せないくらいだいぶ前でした。

だから、2020年に始まった日本でのマイバック導入の流れを大変興味深く見ていました。

まず、買い物袋が有料になることが大きな社会問題(とまで言わないとしても、ある程度のインパクトのあるニュース)になっていることが面白かった。それは海外、先進国では当たり前になってすでに時間が経っていたので、今ごろ導入するところが日本のアクションの遅さを感じさせます。

仕組みが導入される前から小売店では告知を徹底し、ニュースでも買い物客に注意を促していました。そして、導入された後は、コロナの問題も重なってマイバッグの衛生問題や万引きが助長される問題など買い物袋有料化の代償としての新たな問題が続きます。

そこで思うのは、そもそも、何のためにマイバッグが奨励され、そして買い物袋が有料化されたのかと言うことです。

資源の無駄遣いを減らすことが目的だったのではないでしょうか。

そもそも私たちも環境問題に意識がものすごい高いわけではなかったのです。

しかしながら、日本に暮らしてみて紙の無駄遣いが非常に多い現実をみて、とても残念に思ったのです。もちろん、環境破壊を止めるために「飛行機には乗らない」とか「ビーガンになる」というような域にまで達することはできませんが、少なくとも無駄な資源の利用には心が痛むのです。

人口の多い国としては、少しでも一人一人が環境に配慮した動きをしていく時代に入っているのにもかかわらず日本ではまだどこか他人事のように日々暮らしている人が多すぎます。

マイバッグは当たり前でありますし、不要な印刷、不要な電気使用などまずはエネルギーを削減する動きを個人レベルに落とし込む努力をするステージに来ているのだと思います。

きっと、これからの世界的な風潮で本屋さんが存続することが難しい世界がやってくるのではないでしょうか。そんな不便で面白くない世界がやって来たとしても、その背景と理由のために、自分をアジャストしていく準備が大切なのではないかと思います。

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